大判例

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東京地方裁判所 平成元年(ワ)4161号 判決

原告

菱谷紘二

右訴訟代理人弁護士

原後山治

三宅弘

近藤卓史

池田綾子

升味佐江子

右訴訟復代理人弁護士

大貫憲介

被告

佐田建設株式会社

右代表者代表取締役

佐田武夫

右訴訟代理人弁護士

島林樹

藤本達也

右訴訟復代理人弁護士

赤川美知子

主文

一  被告は原告に対し、金三一七二万二〇〇〇円及び内金二八七二万二〇〇〇円に対する平成元年五月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、金一億七二五一万七四九六円及び内金一億五九三一万七四九六円に対する平成元年五月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、マンション建設工事現場から風にあおられ落下した鉄パイプ製足場に当たって負傷した原告が右建設工事を行っていた被告に対し民法七一五条に基づき損害賠償をもとめた事件である(付帯請求は弁護士費用を除くものに対して求め、その起算日は訴状送達の日の翌日である。)。

一争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実

1  昭和六二年七月二三日午後二時ころ、川崎市宮前区土橋三丁目二番一〇号「スカイマンションHK」の建設工事現場において、建設中の右マンション五階ベランダに組み立てられていた鉄パイプ製足場が風にあおられて突然落下し、道路を歩いていた原告に当たり、原告はこれにより負傷した(当事者間に争いがない。以下「本件事故」という。)。

2  原告は、本件事故により右眼窩底骨折、右頬骨骨折、左外傷性血気胸、右第二、左第五肋骨骨折、第一趾脱臼、右大腿骨顆部粉砕骨折、膝蓋骨骨折の傷害を負い、昭和六二年七月二三日から昭和六三年七月二七日まで、聖マリアンヌ医科大学病院、慶応義塾大学病院、慶応義塾大学月ケ瀬リハビリテーションセンターなどに入院し(入院期間合計三七〇日)、その後通院治療を受けたが、昭和六三年一一月三〇日、慶応義塾大学病院で症状固定の診断を受けた。この間、昭和六二年八月三日と同年一二月一〇日の二回にわたり大腿骨骨折部の手術を受けた(〈証拠〉)。

3  被告は、土木建築その他建設工事の請負等を業とする会社であり、本件事故のあったマンション新築工事を請け負って、建築工事を行っていたものであり、原告は、本件事故当時「劇団四季」に正劇団員として所属していた舞台俳優である(当事者間に争いがない。)。

4  本件事故により生じた損害のうち、治療費は全額被告が直接病院に支払っており、原告は本訴において請求していない。

また、被告は、休業損害金として平成三年三月までに合計二〇五五万円を原告に支払っている(当事者間に争いがない。)。

二争点

被告は責任も争っているが、本件の主たる争点は本件事故により生じた原告の損害額である。

第三判断

一事故の具体的態様と被告の責任

1  本件事故で落下した鉄パイプ製足場は、マンションの外壁部分の仕上げ工事(タイル貼り)をするために設置されていたもので、一個の枠体の大きさが幅六〇センチメートル、高さ1.75メートル、長さ1.8メートル、一個の重量が約53.2キログラムある門型足場であり、本件事故当時はこれが一四個つながれていたが、足場自体は建物には固定されていなかった。この足場には目の細かい網目状のターポスクリーンと呼ばれる防護ネットが張ってあった。また、本件事故当日は足場を使用する作業は行われていなかった。本件事故は、足場に張られた防護ネットに強風を受けたため、足場が凧のように浮き上がり、一四個のうち一三個がつながったまま一五メートル下の道路上に落下したことによって発生した。原告は、他の通行人とともに道路を歩いていたときに本件事故に遭ったものであるが、原告の他にも八名の通行人が落下した足場に当たって重軽傷を負った(〈証拠〉)。

2  右によれば、本件事故は目の細かい防護ネットを張ったままの足場を建物に固定していなかったために発生したものというべきで、足場を建物に固定しないままに放置していた被告の現場作業員の過失によるものというべきであるから、被告は、民法七一五条により本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務がある。

他方、原告を始めとする本件事故の被害者は、道路を歩いていて本件事故に遭遇したものであり、本件事故につき特段の落度はなかったものというべきである。

二原告の損害

1  損害算定の前提

(1) 原告の経歴等

原告は、昭和一七年一〇月生れの男性であり、昭和三七年四月、法政大学社会学部に入学したが、昭和三九年四月に劇団四季の聴講生になり、まもなく研究生となって、演劇活動に従事するようになり、大学を中退した。その後昭和四三年四月ころ、劇団四季の劇団員となり、子供向けミュージカルの主役などをやるようになり、以後劇団四季の公演するミュージカルなどに歌って踊れる舞台俳優として出演してきた。劇団四季では、劇団員を正劇団員、劇団員、準劇団員、劇団研究生の四つにランク分けしており、現在三〇名程いる正劇団員は、劇団四季の運営などに関わっているが、本件事故当時原告は正劇団員の一人であった。原告は、事故のあった昭和六二年には、「ハンス」の校長役、「ロミオとジュリエット」のキャプレット役、「ジーザス・クライスト・スーパースター」のアンナス役、「この生命は誰のもの?」の三村判事役などとしてそれぞれの公演に出演しており、同年の後半は、「エレファント・マン」、「ジーザス・クライスト・スーパースター」の全国公演への出演が予定されていた。原告は、劇団四季の中で、主役というよりは劇中で重要な役割を務めるわき役という存在で近年その地位を固めつつあったが、このようなときに本件事故に遭い、昭和六二年末をもって、やむなく同劇団を退団した。原告は、舞台俳優としては再起不能とまでいわれたこともあったが、必死のリハビリテーションの結果、徐々に回復の道をたどり、平成元年に入り、劇団四季の舞台に友情出演という形で立ったこともある。しかし、後述する後遺障害のため、必ずしも十分な演技ができず、劇団との関係は復活するに至っていない。平成元年以降は、原告は、テレビの声優の仕事や舞台に立つ仕事をして、演劇活動への復帰を図りつつあり、平成三年二月には青山劇場で公演されたミュージカル「GANKUTHU OH」に準主役級の役回りで出演した(〈証拠〉)。

(2) 原告の収入

原告は、本件事故のあった昭和六二年は一月から七月までの間に劇団から六六〇万三二九三円の出演料を得ており、同年の後半も前述の全国公演の出演が予定されており、予定通りいくと同年は一〇四五万円余の出演料が原告に支払われる見込であった。ところで、劇団四季に所属する俳優は、ごく少数の特定の俳優を除き、劇団から支給される出演料等のみが収入であり、その収入は基本的には、個々の俳優のステージ単価と出演するステージ回数で決まるため、病気等で出演回数が少なければ収入が少なくなる。原告の過去五年の出演ステージ回数と収入実績をみると、昭和五七年が一五九ステージで年収六〇四万六九二六円、昭和五八年が一一一ステージで年収四〇二万九一八一円、昭和五九年が二六ステージで年収六〇三万八二九三円、昭和六〇年が一五ステージで年収三二九万六〇四三円、昭和六一年が一七三ステージで年収六〇〇万九一八四円であるが、昭和五九年と昭和六〇年のステージ数が少ないのは原告が股関節障害で病院に入院したりしたためである(〈証拠〉)。

右にみたところによると、原告は、昭和六二年は一月から七月までの間に六六〇万三二九三円を得ており、同年中には合計で一〇四五万円程度の収入が見込まれたというのであるが、事故前五年の収入実績をみると、股関節障害でステージ数が少なかった昭和五九年と昭和六〇年以外でも六〇〇万円をようやく超える程度あったので、昭和六三年以降も年間一〇四五万円の収入が得られたか疑問がある。

そこで更に検討するに、調査嘱託の結果によると、劇団四季の劇団員のうち、四〇歳代の劇団員一〇名の平均年収は九四一万七〇〇〇円(平成元年度)であることが認められるので、正劇団員として劇団四季の有力メンバーになっていた原告は昭和六三年以降、少なくとも右四〇歳代の平均年収程度の年収は得られたものと一応推認できる。ところで、実際の所得は、年収から必要経費を控除したものであるところ、〈証拠〉によれば、収入三〇〇万円を超える舞台俳優の所得率は六八パーセントと認められるから、年収九四一万七〇〇〇円だとすると年間所得は六四〇万三五六〇円(月額五三万三六三〇円)となる。そうして、右数値は、平成元年度の賃金センサスでの男子労働者短大卒四五歳から四九歳の年間給与額六四〇万五六〇〇円とほぼ同一であるので(原告は大学三年の中途で退学している。)、劇団四季の四〇歳代の平均収入をもって、原告の収入と認め、その六八パーセント、すなわち六四〇万三五六〇円をもって必要経費を除いた原告の年間所得と認めるのが相当である。

(3) 原告の後遺障害

原告は、現在本件事故による後遺障害として、右大腿骨顆部の粉砕骨折により生じた左右の脚長差三センチメートルのほか、右膝関節に機能障害や知覚異常、歩行時の痛みなどがあり、通常の歩行や正座をするにも障害がある(〈証拠〉)。

右障害は、後遺障害別等級表の九級程度に該当するので原告の労働能力は三五パーセント程度喪失したものというべきである。原告は、ミュージカル俳優という職業を考えれば、通常人と異なり労働能力の喪失割合は七〇パーセントか少なくとも五〇パーセントを下回ることはないと主張するが、右のような障害が舞台俳優として相当のハンディであることは十分理解できるものの、現に舞台俳優として舞台に立つに至っていることなどを考えると通常人以上に喪失割合を認めることは困難である。

2  休業損害

請求額一六三五万五〇〇〇円に対し認容額八六九万三〇〇〇円。

原告は、本件事故当日から後遺症の症状固定の診断を受けた昭和六三年一一月三〇日まで一六か月と九日間休業を余儀なくされたものと認められる。そうして前述のように原告の年間所得は六四〇万三五六〇円であり、月額に換算すると五三万三六三〇円であるから、原告の休業損害は、月額五三万三六三〇円に休業期間を乗じた八六九万三〇〇〇円(千円未満切捨て)と認める。

3  後遺障害による逸失利益

請求額一億一九八八万二八四〇円に対し認容額二八七三万五〇〇〇円。

昭和六三年現在原告は四六歳であるから六七歳まで少なくとも二一年間は稼働できるものと考えられるので、前述の年間所得六四〇万三五六〇円に二一年間のライプニッツ係数12.821と喪失割合0.35を乗ずると、二八七三万五〇〇〇円(千円未満切捨て)となる。

4  傷害慰謝料

請求額三五〇万円に対し認容額三〇〇万円。

原告の傷害の部位、程度や入通院期間などを考慮すると傷害慰謝料は三〇〇万円が相当である。

5  後遺症慰謝料

請求額二五〇〇万円に対し認容額八〇〇万円。

原告は、一時は再起不能とまでいわれていた状況の中で必死にリハビリテーションを受けてきており、その結果として再び舞台に立つことができるようになったものの、原告の右下肢に残る前記後遺障害は舞台俳優として活躍してきた原告に相当のハンディを与え、わが国有数の劇団である劇団四季からの退団を余儀なくされたのであり、これらのことは舞台俳優という職業に賭けてきた原告に多大の精神的苦痛を与えたことは容易に認めることができるので、その他の事情も考慮し、後遺症慰謝料は八〇〇万円が相当とみとめる。

6  医師等への謝礼を含む入院諸雑費

請求額五三七万九六五六円に対し認容額八四万四〇〇〇円。

入院諸雑費としては、一日につき一二〇〇円が相当であるので、これの三七〇日分として四四万四〇〇〇円が相当と認める。また、医師、看護婦等への謝礼としては、手術を二回受けていること、入院期間が長期に及んだことなどを考慮し、合計で四〇万円が相当と認める。

7  弁護士費用

請求額一三二〇万円に対し認容額三〇〇万円。

本件訴訟の内容、請求額、認容額などを考慮すると本件事故と相当因果関係のある弁護士費用として三〇〇万円が相当である。

三損害の填補

被告が二〇五五万円を支払っていることは当事者間に争いがない。

なお、被告は、そのほかに二万八〇〇〇円程の見舞品を原告に提供し、治療費として七五二万〇三八八円を支払っているが(〈証拠〉)、見舞品は損害に対する填補とは認められず、また、治療費については、原告は本訴で請求していないし、過失相殺が問題となる事案でもないから本件では考慮しない。

四結論

以上によると、原告の本訴請求は、二の2ないし7の合計五二二七万二〇〇〇円から填補額二〇五五万円を控除した三一七二万二〇〇〇円と右金員から弁護士費用を除いた二八七二万二〇〇〇円に対する訴状送達の日の翌日である平成元年五月一二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官大弘)

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